おはようございます。
千葉県 成田市 公津の杜 片岡書道教室です。
先日参加したオンラインサロン内でメモした言葉
「時間をかけた自分」と「時間をかけなかった自分」
これは、直近で痛い思いをしているので(^^;)自分自身の記憶に新しく共にある話し。
「時間をかけた自分」もちろんたくさんあります。
「書」の学びに関しては、時間をかけたという過去形ではなく時間をかけていると思っています。小学3年生から現在進行形なのですから。
「時間をかけなかった自分」で思うことは、メリットとデメリットがあるということを身をもって今(細かく言うと記事を書いている直前)感じていることなんです。
時間をかけずに、内容をしっかり把握せず進んだ結果、検定試験に落ちるという大失態(^^;)
そこには私自身の「概念」や「思い込み」「信じ込み」がありました。
説明されていても、「それは違うでしょ、明らかにAだよ」「普通って何?みんなおんなじなんてあるの?」「通常ってなに?何処を指すの?」というような「我」が出たことでその団体の既定の枠に入り込まない自分がいることを認識していました。
それが原因で、(←絶対そう(^^;) )合格点に到達しなかったのもよくわかっている。そう世界だということも分かっているし、そんな考えがあることも分かっている。すべて分かったうえでの回答でした。このまま検定試験用紙を提出するとどうなるだろう。と安易に思ったわけなんです。その結果不合格という結果(^^;)
まあ、それも仕方のないこと。わかっていたことでした。でも心のどこかで、これで合格したらいいなとも思っていましたし、「片岡さんはきっと合格するでしょうってメモ書きにも書いてあるし」と高をくくっていたことも事実。安易に物事を考え行動した結果なんですから、そこは誰を責めるもなく自分自身が時間をかけ慎重に行動をしなかったということだけ。
この、わかっていながら突き進む自分って何なんだろう。。。もしかしたら超厄介者なのかもしれない。
本来の自分を知りたいと思っているのかな~。私の考えはこうなんだと認めてほしいという承認欲求なのかな~。
というわけで、先程朝一番に補修プリントの問題を解き郵送するために投函してきたのでした~(^^;)